人は生きていると、やらねばならないことが色々あります。
子供のころは学校に行くこと、勉強、早寝、
成長するにつれ細々とした家事や役所関係の処理や税金、
周りとのお付き合いなど、種類も量も増えていきます。
それらが自分の好きなこと、得意なことならいいのですが、
不得手なこと、面倒臭いことだと、これはなかなか大変です。
私にとってのそれは掃除です。
自分でちらかした覚えはないのに積もるチリ・ホコリ、
いつのまにか付いてる水アカなどは、
私からすると勝手にやってきて居座り
こちらの処置を待つ不逞の輩です。
自分で使った道具や衣類のケアは苦になりませんが、
どういうわけか昔から、部屋の掃除は苦手でした。
でもお手伝いさんを雇う余裕もない以上、
自分でやるしかありません。
なので、こうした嫌だけどしなきゃならないことを
どうすれば少しでもラクにできるか、それを考えたところ
一番いいのは「自分に組み込む」ことでした。
脳にやらなきゃと思わせるヒマも与えないよう習慣づける、
それをやるのが当たり前だと思い込ませる、
そうやって自分に埋め込んでしまうわけです。
私の場合は掃除機のプラグを抜き差しする手間さえ省いて
充電式コードレス掃除機に、
ゾウキン・ブラシ類は取りに行かないで済むよう
その場所ごとに備え付ける、
全てを思ったらすぐできる配置、設備に整えました。
(面倒と思うヒマを脳に与えません)
それから掃除のために動かさなくていいよう
家具の配置も変えました。
そのために物も大量に捨てました。
それでやっと掃除が自分に組み込まれてきました。
どうしても苦手なことは、
その事柄を分解して、簡略化できる部分はして、
必要な部分のみに絞って対処することで
大分負担が軽減されるような気がします。
「トーチソング・トリロジー」という映画の中で
愛する人を失って悲しむ息子に母がかける言葉があります。
”悲しみや心の傷は決して消えない。
指輪のように体の一部になって
いつの間にかあることを忘れるくらいに、それに慣れるもの”
掃除と愛する人の死では次元が違いすぎだと叱られそうですが、
するしかないなら取り込んでしまう、
これが極意かもしれませんね。
2009年6月19日(金) hiQ編集部 M
http://www.9393.co.jp/hiqstaff/index.html